| 1997年ドバイワールドカップ編
大好きなホクトベガが世界最高賞金のこのレースに挑戦すると聞き、国内最後の川崎記念を見にいけなかった私は、何としても見に行きたいと思い、観戦を決めました。しかし、当時は周りにドバイを知る人もなく、ドバイの情報を得るのはとても大変でした。ドバイ政府観光商務局へ電話して、ドバイがどんな街か、女性一人で行っても大丈夫かを聞いたり、資料を送ってもらったりしました。その資料の中にあった観光ツアーがワールドカップを観戦できる行程で催行されていることを知り、私は一人でそのツアーに参加してドバイへ行くことにしたのです。
ワールドカップ中止の日:1997年3月29日(日)
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ワールドカップ前日は薄日も差す良いお天気でしたが、当日は昼過ぎから雲行きが怪しくなり、私が競馬場に着く頃にはまるで台風のような大雨になっていました。ドバイでこのような雨は珍しく、道路も大雨をはけるように出来ていないようで、あちこちに大きな水溜りができ、車が通るたびに噴水のような大きな水しぶきを上げていました。水はけの悪さはナドアルシバ競馬場も同様で、コースとスタンドの間にあるパドックはまるで池。 |
| コースも雨が浮いて、もともと土に近いダートコースの砂が泥のようになっていました。 |
1レースが始まる時刻になっても、競馬場の中は何の動きもありません。雨は激しさを増すようで、傘を差しても無駄なほどでした。様子を知りたくて場内を歩き、そこで日本の報道陣らしき一団を見かけたので、思い切ってどうなっているのか尋ねてみました。その時点でワールドカップ以外のレースは全て中止、ワールドカップも開催可能かどうか、モハメド殿下ご自身が馬場を歩いて確認されているのを待っている、という状況でした。
| せめてワールドカップは…と思っていたのですが、その願いも空しく、ワールドカップ中止を告げるアナウンスが流れました。ここまで来たのに中止…。正直、頭の中が真っ白になりました。しかし、今までこの雨の中待っていた観客は、ただ黙って競馬場から帰っていきます。何の未練もないのでしょうか。未練たらたらなのは、遥々日本からやってきた私達だけなのでしょうか。 |
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| 少し雨が弱まったのでスタンドから出て、普通なら入れないであろうコースに入り、泥と化した馬場を歩いてみました。この状態なら仕方ない…。土を見てそう思ったものの、さすがにショックは大きかったです。この後、ワールドカップがどうなるのか何も分からないまま、私達も競馬場を後にしました。 |
ワールドカップ前日:1997年4月2日(水)
ワールドカップ開催は4月3日に延期されました。同じツアーでワールドカップを見たがっていた方は予定もあり帰国。しかしどうしてもレースが見たい私は、旅行会社に頼んで延泊することにしました。派遣社員の身分なので、この時期何も仕事を入れずに来たのですが、それは大正解でした。ジュメイラ地区のリゾートホテルから、街中のホテルへ移動して、ワールドカップまでの数日を過ごしました。
ワールドカップの記念に、どこかでオフィシャルグッズを買いたいと思い色々探してみたら、ワールドカップ前日まで競馬場に臨時の売店が出ていることがわかりました。前回は大雨でちゃんと探していませんが、私がいた一般席にグッズを売っているお店を見かけなかったような気がしたので、買いそびれたらつまらないと思い、レース前日、ナドアルシバ競馬場まで出かけました。
競馬場に着いたのが朝の9時過ぎ。大雨のせいで流れてしまった花壇などもしっかり修復されていました。あの時は重く低い雲に覆われていたナドアルシバ競馬場。しかし、この日は違いました。雲ひとつない晴天。太陽のせいで空も直視出来ないほどの眩しさです。コースには調整している馬が数頭いました。ホクトベガはいないのだろうか、と思いうろうろしていると、近くに日本人男性を発見しました。思い切ってホクトベガの事を尋ねてみると、既に調教は終わっているとのこと。他にも色々ホクトベガのことを教えて下さったその方は、ワールドカップの中継に来ているラジオたんぱアナウンサーの方でした。私がドバイに一人で残ったことを話したら、ぜひインタビューをと言われ、「現地に残った数少ない日本人」としてインタビューされてしまいました。日本の報道陣も半分以上、競馬観戦ツアーで訪れた人もほとんどがレースを見ないで帰国したそうで、残った私はかなり希少な存在だったようです。
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ナドアルシバ競馬場は、「ドバイゴルフ&レーシングクラブ」というゴルフ場の中にあるレーストラックです。ここのクラブハウスには、ゴルフ用品と一緒にワールドカップのグッズも売っていました。表の臨時売店より種類が豊富で、私はここでキーホルダーと帽子をお土産に買いました。
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| このクラブハウスは、当日バッチがないと入れない場所なので、前日に見学できたのは幸いでした。ここのお店は米ドルでの支払いも可能でした。
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| クラブハウスの受付近くには、純金のワールドカップが飾られていました。明日のレース、このカップは誰の手に渡るのか、そんなことをワクワクしながら考えていました。 |
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ワールドカップ当日:1997年4月3日(木)
待ちに待ったワールドカップの日がやってきました。朝、ホテルで一緒になったJRA競走馬研究所の方の話では、ホクトベガの調子はレースの延期で上り調子のようでした。輸送で減っていた体重もかなり回復し、不安が伝えられていた蹄もアメリカの装蹄師さん(去年の優勝馬シガーを担当していた方)に診てもらってすっかり良くなり、29日より良い状態でレースを迎えられる、ということでした。私はこの日の夜、競馬場から空港に向かうことになっていたので、帰国の準備をして旅行会社の車で競馬場へ向かいました。
有料入場者と無料一般席入場者とでは駐車場も違うので、私を乗せた車は無料エリアの方へと向かいました。その時点で3時過ぎ。でも、駐車場はかなりの混雑でした。車を止める場所を探していると、運転手さんが何やら警備の軍人に呼び止められ、大声で言い合いを始めました。何事だろう…と不安になりながら後部座席から覗いていると、その軍人さんは私を車外へ呼び出し、ここから入場門まで案内してくれる、というのです。そして、帰りは出口で待ち合わせをして、私を旅行会社の車まで送ってくれるというではありませんか。
何という待遇でしょう。そんな必要もないように感じたのですが(笑)その軍人さんから見たら、私1人というのは頼りなく思えたのでしょうか。せっかくのご厚意なので、ありがたく受ける事にしました。長いひげを蓄えた、彫りの深い顔のこの方なら、この混雑でも探せそう、と思って別れました。
この日もドバイは好天に恵まれました。馬場も、軍のヘリコプターが低空飛行をして乾かした努力の甲斐あって、すっかり回復しているようでした。中に入って、すぐにパンフレットを入手。ここのプログラムは無料で、半分が英語、半分がアラビア語で書かれています。無料エリアで居場所を探した私は、パドックと本馬場を結ぶ通路脇で馬を見ることにしました。ナドアルシバ競馬場は、スタンドとコースの間にパドックという構造です。スタンド席の一部も無料のようでしたが、3時過ぎの到着では遅いようでどこも満席。パドックの周りも人がいっぱいで、その上、敷物を敷いて陣取る人が多くて動きにくい状態でした。
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通路脇の柵の前はまだ余裕があったので、そこでパドックを出入りする馬を見る事にしたのです。しかし、ナドアルシバ競馬場は、コースよりパドックの方が低い位置にあるので、この場所ではレースは殆ど見えません。大きなビジョンもありますが、それも人垣が出来てしまうと見えなくなります。実況を聞いても分からないし、本当にただワールドカップを待つだけの時間を過ごしました。 |
| なので、印象に残っているのは、レースの合間のセレモニーくらいです。日本の旗を持った騎馬を見つけしっかり写真を撮りました。遠く日本を離れると、こういうものも嬉しく感じます。 |
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ワールドカップの発走は午後7時35分。柵の前に張り付くこと3時間余り。やっとホクトベガの登場です。しかし、隣で見ていたおじさんがホクトベガの姿を見るなり「ジャパニーズホース!!」と叫んで私の腕を思い切り揺らしたので、おかげでどの写真もぶれてしまいました。(笑)パドックに入るタイミングを見計らうホクトベガ、これが私の撮れた唯一の写真です。後姿なのが何よりも残念ですが。でもおじさんに悪気はないで仕方ないですね。 |
ワールドカップ出走馬が場内アナウンスで紹介されます。ホクトベガの紹介も当然英語。彼女が海外に挑戦しているということを、改めて感じたのがこの時でした。そして、いよいよパドックから本馬場へ。この時も私の前を通ったのですが、今度はあまりに近すぎて写真が撮れませんでした。でも、こんな間近でホクトベガを見たのは初めてだったので、単純にホクトベガの大きさに感激していました。そして、目の前を通り過ぎ、馬場へと向かうその後ろ姿を、遠くにぼやけるまで見つめていました。それが私の見たホクトベガの最後となってしまったのです。
ホクトベガを見送った後、急いでレースを見る場所を探しました。コース最前列は既に人垣でビジョンも見えず、他のビジョンが見えそうな場所もどこも人・人。仕方がないので、直線コースを走る馬が一瞬だけ見えそうな場所で見ることにしました。インターナショナルビレッジと一般席の境目の垣根が、少し低くなっていたのでそこで待つことにしたのです。
いよいよゲートイン。ゲート入りを嫌がる馬がいたようですが、実況が聞こえたのはこのスタート前だけで、スタート後は場内の大歓声で全く聞こえませんでした。どこを走っているのか、想像しながらしばらく待つと、馬の一団が見えてきました。その中にホクトベガの姿を探そうと見慣れた水色の勝負服を探しましたが、どこにいるのかわからないまま、一団は通り過ぎていきました。せっかくドバイまで来たのに、走る姿を見られなかった…とがっくりしていると、先程、私が見ていた通路をレース後の馬達が戻ってくるのが見えました。3着までが先程のパドックに戻り、そこがウイナーズサークルになるのですが、その3頭にホクトベガはいませんでした。勝ったのはモハメド殿下の所有馬シングスピール。地元の馬が勝ったので、場内の興奮は最高潮に達していました。
厩舎へ帰っていく馬も先程の通路を歩いていたのですが、その中にもホクトベガの姿はありません。しばらくすると、人垣がとれてやっと見えるようになった大きなビジョンで、レースのVTRが流れているのが見えました。そのVTRを見ていたら、3コーナーあたりで見慣れた水色の勝負服の馬が転倒するシーンが映し出されました。それがホクトベガだったのです。ホクトベガは落馬し、私の前を通っていなかった事がこの時初めてわかりました。場内が歓喜に満ちているのに、私だけが別世界にいるように感じました。ホクトベガの転倒したコーナーを見つめても、あまりに遠く様子は何もわかりませんでした。
帰りの飛行機の時間も迫っていたので、重い足取りのまま競馬場を出ました。すると先程の軍人さんが、私を見つけて駆け寄って、真っ先に「残念なことに…」とホクトベガの落馬を慰めてくれたのです。この歓喜に満ちたナドアルシバで、私を心配してくれてのこの言葉は、何よりの慰めでした。この方もシングスピールの勝利を単純に喜びたいかもしれないのに…と思うと、その思いやりにも胸がつまる思いでした。迎えの車を待つ間、一緒にいてもらえたおかげで、悲しみに打ちのめされながらも私は何とか帰路につくことができたのです。
ドバイの空港で、日本へ帰国するカメラマンに、転倒により骨折したホクトベガに安楽死の処置がなされたことを聞きました。飛行機の窓から見た夜のドバイ。暗闇に浮かんで光る街は、まるで夢の中の世界のようにも思えました。もしかしたら悪い夢を見ているのかも…。そんな気持ちで、私はドバイを後にしました。
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3月29日付け[ガルフニュース」スポーツ面トップに載ったホクトベガの記事
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第2回ワールドカップの出馬表
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大好きな馬が亡くなるというとても辛い思いをしたのに、私は日本に戻ってからも、ずっとドバイの空が忘れられませんでした。ホクトベガを追いかけて全国の競馬場へ行きましたが、もう一度行きたいと思うのは不思議とナドアルシバ競馬場だけなのです。ホクトベガがゴールを駆け抜けるシーンを想像しながらインタビューを受けた時、私は今までに味わったことのない晴れやかで誇らしい気持ちでいっぱいでした。この時の気持ちが今も忘れられないのです。ホクトベガの挑戦のおかげで、私は素晴らしい街とたくさんの人に出会うことが出来ました。そのお礼をホクトベガに言いたくて、私は今もこうしてドバイへ行くのかもしれません。
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